書評

プラナカン 美しき文化の融合をみる

こんにちは、京華です。

本日、紹介したい本は、

マレー半島 美しきプラナカンの世界

(イワサキ チエ・丹保 美紀)

です。

 

なぜ、この本を紹介するのかというと、表紙がめちゃきれいなんですよ。

表紙の表には、ターコイズの布の表面に、黄色と明るい赤の繊細な刺繍、ビジューがちりばめられたゴールドの留め具。

裏表紙には、バラやハイビスカス?が中央を飾り、緑やピンクで縁取りしてある6種類のタイル。

まず、この表紙に魅せられ、そして、マレー半島という言葉も、心くすぐりました。

私は「和僑プロジェクト」を勝手に啓蒙していて、もちろんマレーシアには興味があります。

「関心のアンテナは、無意識に必要なものをもってくる」というのは、本当ですね。

プラナカンとは?

プラナカンとは、15世紀くらいから中国(主に福建省)から、ビジネスチャンスを求めて、マレー半島にやってきた中国人の子孫のことをさします。

彼らの多くは、マレー人やバタック人など現地の女性と結婚して定住し、その子供達は純マレーでもなく純中国でもない言葉や工芸品、衣装や食文化などの独自の文化を持つようになりました。

彼らは中国系ならではの努力と商才でもって次々と財をなし、マラッカ・ペナン・シンガポールで巨万の富を築きました。

この地域は1975年以降、英国の植民地でしたので、彼らの子弟は英国に留学し、英国式のマナーを身につけました。

大きな屋敷に住み、重厚で上品・ゴージャスなものを好みつつ、ピンクや水色の女性好みなパステルカラーも愛する。

世界中の文化が交差したマレー半島。その歴史が産んだ奇跡の民、それこそがプラナカンなのです。

「マレー半島美しきプラナカンの世界」より抜粋

 

紹介されているプラナカンの文化

住居

プラナカンの住居を、「ショップハウス(正面玄関部分が店舗や事務所)」「テラスハウス(一階部分を店舗にせず、住居としたもの)」といいます。

間口は狭いが、奥行きが深い、京都の町家のような作りです。

玄関を入ってすぐに応接室があり、豪華な家具調度で飾られています。一般的な客人はこの部屋までしか入れず、奥の部屋は家人の居住空間になっています。

応接室は、家の財力を表す役割もあるので、螺鈿細工の紫檀や黒檀の中国家具、シャンデリアやベネチアンガラスで飾られています。中国と西洋の折衷様式であり、暑い国出ある事から透かし扉やタイル張りの床などマレー半島の様式も取り入れられています。

ファッション

クバヤという刺繍が施されたインドネシアの半透明のブラウスと、スカートの役目を果たす腰布サロンをあわせて、「サロン・クバヤ」という正装にします。クバヤにはボタンがないので、代わりにダイヤモンドや金銀をあしらったクロサンというブローチをあわせます。

ビーズ細工もプラナカンの特徴的な手工芸品です。バッグやサンダルにびっしりビーズ刺繍がしてあり、非常に緻密で、大変高価です。

写真を見る限り、現代ファッションにも十分にフィットすると思います。

料理

スパイスとココナツミルクを多用するマレー・インドネシア料理をベースに、中国南部の料理の要素とテクニックが取り込まれています。

また、ヨーロッパから持ち込まれた調味料も使いこなし融合させ、究極の多国籍料理となりました。

お菓子も同様に、中国・西洋・マレー文化がミックスしており、一見体に悪そうな感じがする極彩色のお菓子は、天然素材の色から抽出しているものが多いようです。

 

プラナカンの都市

マラッカ

マレー半島の西側、真ん中あたり、マラッカ海峡に面する街。

マラッカは昔から交通の要所で、アラブ・インド・中国からの証人達が集まり、大航海時代を経て、ポルトガル・オランダ・イギリスに支配された歴史の街です。

プラナカンと言われる人たちが、いつ頃からこの地に住み始めたのは、定かではないらしいい。

イギリスの植民地となり、植民地の首都がシンガポールに移されてしまうと、プラナカン達はシンガポールに商売の拠点をうつし、マラッカは黄金時代を終えます。

現在でも、昔の面影を十分に残し、いぶし銀のような風情があります。

 

ペナン

マレー半島の西にあるペナン島。東洋の真珠と呼ばれ、ビーチリゾートのイメージが強い。

ペナンのプラナカン達は、タイやビルマの影響を大きく受け、マラッカとは違った独自のプラナカン文化を持ちます。

伝統的なショップハウスもあるが、豪奢なコロニアル・ヴィラもあり、そのほとんどは裕福な中国人やプラナカンの屋敷だったものです。

 

シンガポール

マレー半島の南の突端にある小さな国シンガポール。

今では国際金融都市として繁栄を極め、進化が止まらないですね。

主にマラッカのプラナカン達が、ビジネスの拠点を求めてシンガポールにやってきました。カトン地区は、かつて多くのプラナカンが住んだところです。

摩天楼と寺院やショップハウスが、見事に共存しているシンガポールは、過去と未来、東洋と西洋の完ぺきな調和かもしれません。

 

まとめ

自分の国を出て、海を渡り、新天地を求めたプラナカン達。

伝統文化をかたくなに守り、中国人としてのアイデンティティを保ちつつ、でも、移民先の文化も柔軟に受け入れ、融合させ、そして、独自の文化を生み出しました。

生まれた国を出た事情は様々だろうが、移民先で富を築き、さらには政治経済に多大な影響を与えられる存在になるには、彼らの並々ならない努力と勤勉さ、ビジネスのセンスが必要であったはずです。

その精神の強さ、見習いたいものですね。

 

 

豪華なプラナカンの邸宅や、繊細な刺繍が施されたクバヤ、赤・緑・青と色とりどりのプラナカンのお菓子や美味しそうな料理の数々・・・

かつて栄華を極めたプラナカン達が住んだ邸宅も、今では一般公開されている様です。また、刺繍や料理などの体験教室の紹介なども書かれています。

数多くの美しい写真とともに、プラナカン文化をたっぷりと解説してくれている本書を読んで、一通りの観光ではない旅を楽しんで下さい。

「究極の華人プラナカンの文化を訪ねる」という、旅のテーマにピッタリの本でした。